SHOCKの連続。
先日、堂本光一さんが主演のEndless SHOCK本編を観に行きました。ネタバレになってしまうので詳しくは語りませんが。死ぬまでに観てほしい舞台です。
Endless SHOCKという名の通り、ずっとショックの連続です。NYの街、Off Broadwayで小さなカンパニーの舞台で華やかにShowが始まったと思えば、On Broadwayでスポットライトを浴びたいという役者の欲望が、後に人としての欲望が渦巻く様子が明らかになって来て、大事件が起きます。大事件をきっかけにカンパニーそれぞれ全員が自分なりの答えを見つけるんです。
私も登場人物なのではないか?カンパニーの一員なのではないか?と錯覚してしまうほど物語に見入ってしまい、ガッチガチになりながら座って観てました。
第二幕、シェイクスピアの作品を演じる主人公コウイチの長台詞が個人的に好きすぎて後日、メモに文字起こししました。絶望と悲観を力強く語るシーン、ある出来事をきっかけにライバル側が追い詰められる気持ちが手に取るように分かります。
本編鑑賞後、こんなにも濃い内容なのかと驚かされました。カンパニーの3年後を描いたEternalしか劇場で観たこと無かったので、本編のあらすじは知っていましたが。観終わった後、踊っても歌ってもいない私はフラフラになりました。泣き疲れてたんでしょうね。
プロの役者にとっての「Show must go on」の意味と一般人にとっての「Show must go on」の意味、遠いようで近かった。それぞれの意味合いがあると前田美波里さんが仰ってました。
全ての言葉に意味を見出して教訓として生きろ!という訳では無いですけども、こういう舞台を観て、この先の人生を生きて、自身が感じた感情のいくつかには、私なりの意味を見出せたらなと思っております。
是非。Endless SHOCKでカンパニーが彩るNYの華やかさを観に帝国劇場へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
言い訳なんです。
文を書く者は手を止めてはいけないと考えていながらも長い間、この記事を止めてしまいました。誰がいつ目にするのか分からないような場所で
「帰ってきました。」
なんて言っても、その方にとっては初めましての挨拶代わりになる記事かもしれないので私の独り言はここまでにしておきます。
先程にも出てきましたが、「初めて」って緊張しませんか。
何事においても。入学式や入社式、プレゼンや大会。恋愛も全てです。
私自身の「初めて」も勿論緊張しますし、身近な人の「初めて」も関係ないのに私までちょっと緊張します。そんな人間なんです。
昨日から緊張して堪らない事が一つ。
私が応援している方々が「初めて」を経験されるのです。というか、経験されたのです。
その方々の表情は清々しいものだったと赤の他人さんの情報を青い鳥で見ました。。その時、私は何もしていないのに達成感があったんです。私は何者でもない、ただの一般人なのに。一般人にも達成感を持ってしまう事をその方々は経験されたのです。心から尊敬でしかないです。ずっとスマホの画面を見たまま、胸がいっぱいになってブルーライトと興奮で夜も眠れませんでした。そして気づけば朝の7時前です。愚かですね。
ここまで起きていた自分と貴重な「初めて」を経験された方々が夢に出てくることを祈って寝ます。おやすみなさい。
色のある涙と無色透明な涙。
皆さんには気が病んでいる時、俗に言う病み期というものはありますか。
私はあります。しょっちゅうあります。特にオールした夜中の2時頃から朝の6時頃にかけてなんて地獄のような病み期が来ます。
病みというものは、これからの起こるであろう出来事や物事の不安が独りの私を潰そうとするものです。その重圧を感じ取ると、目からスッっと涙が流れるのです。過去の記憶を鮮明に思い出して悲観的になり、嘆き泣く夜もありますが、ほとんど意味や感情のない涙で枕を濡らす夜です。
この何色にも染まっていない涙は何故流れ出るのか。
「まだ自分は正常なんだ」と涙を流すことで身体から心へ落ち着けと言い聞かせたいのだと思います。人間はおかしく狂う時には涙は出ないと思うのでね。実際にこの無色透明な涙を流した15分後ぐらいにはぐっすりと眠っているのでね。
私と同じ、ただ流れ出る涙で枕を濡らす夜がある方は、自分と向き合えている方なのではないかなと思います。色のある涙を流している方が自分と向き合えていないと言う訳でないのはご理解いただきたい。多分、色のある涙を流している方は過去の記憶や感動したものと向き合えていると思うのです。
日中、ハイになっていた分、夜は暗いので泣いてもバレないのです。映画や本、思い出などに浸って気分を思いっきり沈めてみましょう。
新入りが入るから脱退しますってことにはならないだろ。
「断捨離出来る人って冷たい人なのではないか。」と考えたことがあります。断捨離が悪いと言っているのではないです。
私が断捨離の(だ)の字も無い人間だからこんな捻くれた思考が頭を過ってしまうのです。
捨てられないもの。みなさんにもあると思います。初めて買ったCD、実家に眠っているアルバム、小学生の卒業式で着た服、部活の道具、ペットのおもちゃ等。多種多様であると思います。
私はぬいぐるみが捨てられません。ドール系は苦手意識があったので、幼少期の頃からずっとぬいぐるみが好きでした。ベビーベッドで一緒に寝ていた頃のぬいぐるみは屋根裏で休んでもらっています。そろそろ部屋の全飾り棚もベテランぬいぐるみさんたちで満員になってきて新しく棚を作るか、ベテランさんたちを厳選するか悩んでいた今日この頃。
しかし、今日私は愚かなことに新人のぬいぐるみを出迎えてしまいました。私のベッドもそろそろぬいぐるみで侵食されそうです。何回も捨てようと試みても、捨てるまでの判断には辿り着かないのです。何故なら、トイ・ストーリーのおもちゃたちを思い出すからです。
【トイ・ストーリー全作品鑑賞済】
「じゃあ、屋根裏で休んでいるぬいぐるみはどうなんだ。」
「個人的な事情なのでほっといてください。」
やっぱり、可愛くて思い出のあるぬいぐるみたちを目の届く範囲に置いておきたいのです。そして、捨てるという行為は私の中で最終手段なのです。虫食いなどの理由があれば捨てなければいけないでしょうが、新人を入れたからと言って脱退は可哀想なのです。
こんなど素人に理解して欲しく無いとは思いますが、秋元康さんの48グループシステムは「こういうことなのか。」と理解できます。
「大阪を拠点としたグループ作るから秋葉原は解散。」
とはいきませんよね?それなんです。
なので、私は自室でぬいぐるみ総選挙を行います。涙なしでは観れない語れない時間になるかと思いますが、個人で闘いたいと思います。
行動する前に賢いスマートフォンで調べておけ。
先日、家族で魔法使いの街とゲームの街がある場所へ行ってきました。ええ、大阪のところです。
行った時、人が多くてアトラクションというアトラクションは乗ってないんです。呪術高専の着工式に参加しましたけども。それ以外は乗ってないです。その日の我々の目的は食べ物とグッズだったのでね。
楽しかったんですけども、爪が甘かったなぁと思うことが一つふたつありまして。
それが、老若男女に人気のゲーム、イタリアの赤い帽子被った兄弟がいるエリアあるでしょ。そこに行きたかったんですよ。文頭に書いたようにその日、人が多くて整理券が配布されていたんです。そのうち、整理券抽選になってしまって。抽選に当たらないとエリアに入れないんです。
【賢いスマートフォンからの噂によると15%から30%の当選確率らしくて。】
グッズを買いたかったので14時、15時代の抽選に応募してみたんですよ。
外れました。
木っ端微塵でした。
後々、調べてみると夜の時間帯も選択することが出来たんです。「親子連れが帰る時間帯にすれば良かった。」「当日入場のチケットに課金しておけば良かった。」と自分の爪の甘さを痛感しました。新しいパレードなんかもやってるみたいなので行かれる際は爪の甘さが後悔に繋がらないようにご注意ください。
離れていた時間。
シングルマザーの母は、小学一年生から大学一回生まで祖母と叔母に私を預けて仕事に明け暮れていました。母は一人暮らしの状態。私は祖母の家が実家の状態。この二件の家、歩いて行ける程の距離で。私にとってどちらも実家です。
思春期時代の生意気な私は祖母と叔母の家で過ごした為、母から見た、現在大学生の娘は中学生時代から高校生時代で止まっているのだと思います。時々、そう感じます。
髪を染めて帰ってくると、「髪が痛むし、そもそも肌が強くないんやからあんまりブリーチしたらあかん。」自宅でネイルをしていると、「また、そればっかりやって…そんな派手な色して良いの?」など。
母が心配してくれるのです。離れていた時間を取り戻そうと、母親であるべき時間を取り戻そうとしてくれているのです。こうやって無かった時間を取り戻そうとしてくれている母の事を想うと泣けてくるのです。母は母で、「大事な時期に一緒に居てやれなかった。」と感じているのでしょうけど。私は幼少期から母が母親でなかった瞬間はありません。どれだけ距離が離れていようとも、過ごした時間が少なかろうとも「学費の為に、将来の為に。」と働いてくれていた事を知っています。何なら幼少期の頃は働く母を密かに自慢に思っていた程です。なので、私にとって母と離れていた時間というのはあって無いようなものなのです。
母へ。
今だから、話せること。多くなってきました。
父親が居ないこと。恋人にした方がいい男性の見分け方。当時の結婚式のこと。私は母を想い、母は私を想い、お互いに想い合っていること。
時効として赤裸々に話せている時間こそ、大切にしたいと感じていることを文面で伝えます。
何かと多くなる春。
1人の友人の誘いから久々に日中、街に出ることになりました。
春休み中の街はどこに行っても人と花粉だらけで
「人酔いしてきた。」
「平日やのに人間が多い。」
「私らはまだ人間じゃないのかもしれない。」
「絶対そう。」
「何となくお茶できる店に入って休憩しよう。」
なんて馬鹿げたことを抜かしながら、見慣れ、行き慣れた街を歩き倒しました。
適当に検索結果に引っ掛かった喫茶店で紅茶とケーキを嗜んでいると、友人が急に
「好きの定義」は何なのか?
と問いだし、言い終えた私はブラックコーヒーとケーキを嗜む友人に恋愛観を問い返し、議論を進めた結果、恋愛経験値が低い私たちの間では何も答えは出せませんでした。
ただ、ケーキと紅茶が美味しかったです。