佇む展示品

長い間止めてしまってました。

わたしの悪い癖です。お久しぶりです。

わたしは変わらずのうのうと過ごしています。

 

母の連れで東京博物館へ。

「緊張感が漂う館内であるにも関わらず、展示物を見る為にゆっくりと館内を歩いていると気持ちが落ち着く。」そんな印象を持ちました。

厳格でありながらも自由で独創的な展示品たちを舐めるようにじっくりと観察しては、ものに想いを馳せていました。母からは若干引かれました。

 

キリシタンの祈りとマリア聖母展」で展示されていたロザリオに心奪われましたね…

異文化であるキリスト教が日本に馴染む瞬間が像として、絵として、物として残されていた記録たち。非常に小さい規模でしたが、見られてよかったなと感じました。

 

外の景色も四季を感じるものでした。

ベンチから見る博物館の外観は良いですね。ちょうど日差しもあって暖かったです。

 

 

気になるけど気にして無いフリ。

今、テレビの話題を掻っ攫っているもの。

分かりますか。

ハリーポッターですよ。

 

私、中学生の頃に自宅にあったハリーポッターシリーズを読破してから「魔法使いが存在している独特な世界観」の虜になりました。

東京にハリーポッターツアーがオープンしましたね。東京からは遠い県に住んでいる私にとっては死んで亡霊になって浮遊してでも行きたいと思っています。

 

「じゃあ、比較的空いてる大阪の方行けば?」

 

そうですね。

近県の大阪府ハリーポッターエリアがある某テーマパーク。あそこも作り込みが凄くてパークに入れば絶対に入る大好きなエリアではあるんですが、やっぱり東京のハリーポッターツアーに行ってみたいのです。オープンして一年ぐらいはずっと混んでそうですね。

まあ、私は「死ぬまでに行きたいなぁ」ぐらいに思っているので。チケットが取れる日まで気長に待ちましょうかね。

あり得ないを考えてみる。

もしも話とか、あり得ない出来事を想像するの、大好きなんです。

だから、空想世界が好きに広がっている映画とか本が好きなんですけど。

 

中でも「ナルニア国物語」が好きで。当時、小学生の私は家で映画を観て衝撃を受けました。

 

「あり得ないと思い続けていた出来事が、夢がそのままお話になっている!」

 

と。校庭を走り回っていた小学生だったのでここまではっきりと言語化出来ていませんでしたが、この文と同等の感想を抱きました。

第一章をテレビで観てからというもの、第二章からは映画館へ連れて行ってもらってました。

 

私の大好きな作品なのでね。知らないよって人には是非とも観てほしい作品です。

 

何が言いたいかと言うと、特に伝えたい事は明確に無いんですが、お薦めしたいのは一つの作品から影響を受けて、幻想的なもしも話を自分の中で広げて没頭するのも楽しいですよ。ということです。

 

小腹が減った夜中に思った事。

いつからでしょうか。

趣味は「寝ること」だったのに「夜更かし」に

変わってしまったのは。

いつからでしょうか。

ポップなアイドル曲からロックなバンド曲を聴くようになったのは。

 

 

時間が経つのは早いもので、先日誕生日を迎えまして歳を重ねました。原因不明の微熱を出しながらダラダラと過ごして生きています。

今、この文を打ち込んでいる、午前2時半。

「お菓子を食べたいな」「クッキーを食べたいな」と碌でもないことを考えています。こんな碌でもない事ばかり考えていると、ふとした瞬間に

「この人生も碌でもない人生なのかもしれない」

と私の性格上、考えてしまいがちなんですが、

好きなものが目に入ったり耳に入ったりすると、一瞬でこんな愚考は消えてしまいます。まだ、死にたくないみたいです。

好きな服を着て、好きなアクセサリーを身につけて、好きな音楽を聴きながら、汗ばむ程照りつける太陽の下を能天気な顔で散歩していたいのです。

まだまだ行きたいフェスはあるし、見たいロックスターがいます。マイギターだって持ちたい。

欲望だらけで自分が嫌いになりそうですが。

この欲望達が、好きなものへの愛を深くしてくれている。

そう思うのです。

弱い心と引き換えに強い拳。

私、バンド好きの友人と13日の土曜日METROCK大阪に行ってきました。好きなバンドマンさんが出演していらっしゃいました。雨の中、濡れながら暴れ歌う姿は素敵でしたし、再度惚れました。

 

 

当時、友人が学校終わりの放課後お勧めしてくれたロックバンドに惚れ込んだ私は一気に曲を聴き漁り、すぐさま友人と同じバンドが好きになった新参者2名は近県で行われる12月のフェスに駆け込んだことを覚えています。ここからフェス物語は始まったのです。

 

 

2022年、久しぶりに行ったフェスではコロナの猛威が絶好調の時。声出しと人数制限などのルールがあり、あるべきフェスの姿からはかけ離れていました。

しかし、2023年。

マスクの着用は任意になり、声出し可、人数制限やソーシャルディスタンスも無し。やっとコロナ前の風景が戻りました。

 

この現状だけで私は嬉しいのに、好きなバンドマンが雨に打たれながら楽器を掻き鳴らしているではありませんか。泣くような楽曲でもないところで私は泣いていました。涙と雨でぐしょぐしょになりながらも突き上げる拳は力強いものでした。だって。ずっと上げていた右腕が筋肉痛なんですもの。

 

ベース、ドラムの重低音を近くで、真正面から、音を、身体が打たれるように受けて。

ギター、ボーカルの主旋律を近くで、真正面から、音を、友人の話し声なんて遠くに感じるほど強く響くように聴いて。

 

幸せを感じました。バンドマンは

「ファンが我慢してくれていたから今がある。」と言っていました。でも、私は思うのです。

「絶対にコロナ前の風景を取り戻してみせるから。」とファンを勇気付けて、声、密集以外の音楽の楽しみ方を教えたバンドマンさん達、何とか音楽を提供したいと試行錯誤したフェス主催者さん達こそ、今があると思うのです。

 

こんな文章が音楽関係者の皆さんに届くかどうかはわかりません。しかし、これだけ言わせてもらいます。「あんな時だからこそ!!と立ち上がり音楽を届けてくれてありがとう」と。

ストローの袋。

ストローをジュースに刺した後、ストローの袋、ゴミはくしゃくしゃにしますか。折り紙みたいに縦長に折りたたんでいきますか。それとも可愛くリボンなんか作りますか。

 

冬物のコートをクローゼットに仕舞ってからお気に入りの喫茶店へ行けてなかったので、久々に行きました。

窓からの風景は大雪の吹雪、店内との寒暖差で出来た結露が外を隠す一月から爽やかな風が吹く五月の15時31分に。店内で流れる音楽がより一層お洒落に聴こえます。

 

オレンジジュースの酸味に少し咽せながらも、この文章を書いています。ちょっとだけ店内の雰囲気とジュースを味わいたいのでここらへんで消えます。

分かっていても。

何回も観てしまうコンテンツってありますか?私は寝る前に観たことある映画を観てしまいます。

アニメでも映画でもドラマでも本でも媒体はなんでも良いんですが。この先の展開が分かっているのに何回も観て何回も同じところで同じことを思って。「結末を知ってる」というあの安心感、私は大好きなんです。

 

 

たまには「新しい映画を観て寝ようかな」と思う時もあるんですが、結局、知ってる映画を観てしまうんです。

新しいものを観た時の好奇心であったり、スリルは初回でしか味わえないし、何回も訪れるものでは無いと知ってますし。新しい映画を観たら、特別な感情だったり感動を抱いて寝れると思うんですけど、ずっと興奮状態でいると意外と疲れてたり、しっかり観てたようで肝心なところが記憶から抜けてたりするんですよ。

人間って器用で不器用なんですよね。そこが憎かったり愛らしかったりします。

 

これからも私は同じ映画を、同じ結末を何回も神目線で観て安心感を得て寝ます。おやすみなさい。